横浜地方裁判所 昭和49年(ミ)3号 決定 1975年2月15日
申立人 東京時計製造株式会社
右代表者代表取締役 佐藤守彦
右代理人弁護士 小川善吉
同 菅谷瑞人
主文
一 申立人東京時計製造株式会社について更生手続を開始する。
二 東京都杉並区下高井戸四丁目五番一八号桜上水マンション四〇二
岡部行男
東京都世田谷区桜上水二丁目一七番一六号
真田義干
を前項の会社の管財人に選任する。
三(1) 更生債権および更生担保権の届出期間を
昭和五〇年四月一〇日まで
(2) 第一回の関係人集会の期日を
同年四月一五日午後二時
(3) 更生債権および更生担保権調査の期日を
同年六月六日午前一〇時
と定める。
理由
第一本件申立の要旨
一 申立会社は、昭和二六年二月五日設立された各種時計の製造販売を主たる目的とする、資本金一一億〇二五〇万円、発行済株式総数二二〇五万株の株式会社である。
二 申立会社は、設立以来順調に成長を続け、昭和三七年七月東京証券取引所第二部に上場されるまでになり、同年一〇月には川崎市高津区二子所在の本社工場のほかに宮城県柴田郡村田町に村田工場を新設し、また昭和四二年九月には当時世界的発明品といわれた電子シリコン時計の製造に成功し、国内はもとより輸出面においてもかなりの業績をあげていた。
三 しかし、昭和四四年後半より大手同業会社による流通経路の系列化が実施されたために、申立会社の製品は国内市場から大きく後退することを余儀なくされたところに、昭和四六年八月のアメリカ合衆国ニクソン大統領の緊急経済政策発表を契機とするいわゆるドルショックにより輸出面においても大きな損失を蒙り、加えて約八億円の投資をして昭和四七年一〇月本社工場の敷地内に建設開場したボウリング場(タカツボウル)が大幅な赤字経営に陥り、資金繰りが段々苦しくなり、遂に、昭和四九年一一月二一日支払期日の手形金約一億〇七四六万円については、まったく決済の見通しがつかなくなり、更に今後引続いて支払期日の到来する手形についても決済する資金はない。
四 もし、これらの資金を調達しようとすれば、土地、建物機械、設備等申立会社の運営に必要な資産の処分をする他はなく、かかることをすれば、申立会社の事業継続に著しい支障をきたすことは明らかである。
五 申立会社は、現在クロック業界において三番目の地位を占めており、その製品は国内はもとよりとくに国外において非常な好評を博している。したがって、本社工場を売却してその代金を債務の弁済にあてるとともに、従業員の村田工場等への配置転換および人員整理を実施して生産性の向上に努めれば会社の更生は十分に可能である。
よって、申立会社に対し更生手続を開始する旨の決定を求める。
第二当裁判所の判断
一 本件申立疎明資料、調査委員による調査報告、申立会社代表者佐藤守彦審尋の結果、その他当裁判所の調査結果によれば次の事実を認めることができる。
(一) 申立会社は、昭和二六年二月五日、資本金一五〇万円で設立され、その後数度増資が繰り返された結果、現在の資本金は一一億〇二五〇万円、発行済株式総数は二二〇五万株となっていること。その間、昭和三七年七月には東京証券取引所第二部に株式が上場されたこと。
(二) 申立会社の目的は、(1)各種時計ならびに計量器の製造および販売、(2)光学機械、電気機器、工作機械、精密機械、治工具、試験機器ならびにその部品の製造および販売、(3)右に関する輸出入業務、(4)ボーリング場の経営、(5)食堂の経営および食料品の販売、(6)スポーツ用品の販売、(7)前各項の附帯する一切の業務であること。
(三) 申立会社の現実の事業内容は、置時計、目覚時計、掛時計等のクロックの製造販売であり、その国内におけるシェアーは、昭和四八年度において業界第四位(約九・四%)であること。
(四) 申立会社は、川崎市高津区二子に本社工場を、宮城県柴田郡村田町に村田工場を設置して時計の製造にあたらせているほか、昭和三一年二月に東京時計株式会社を設立し、同社をして国内販売にあたらせていること。
(五) 申立会社の販売先は、国内においては右東京時計株式会社の他、ナイルス部品株式会社、東京芝浦電気株式会社等が主な取引先であり、輸出においては、ストラウス社(英国)、ガラント社(西独)、ジャズ社(仏国)等が直接貿易の際の主なバイヤーであり、三菱商事株式会社、株式会社堀田時計店等が間接貿易の際の主な取引先であること。
(六) 申立会社の従業員は、昭和四九年一二月末日現在本社工場関係六四四名、村田工場関係九一三名(計一五六七名)であり、本件会社更生手続開始申立後に、本社工場には東京時計労働組合が、村田工場には東京時計製造村田工場従業員労働組合がそれぞれ結成されたこと。
(七) 申立会社の銀行取引は、現在の借入金残高からすれば株式会社七十七銀行、株式会社太陽銀行、株式会社横浜銀行、株式会社三井銀行、三井信託銀行等が主な取引銀行であるが、いずれもいわゆる「主力銀行」とはいいがたく、したがって、申立会社の経理内容等について十分把握していなかったこと。
(八) 申立会社は、昭和四七年頃よりかなり資金繰りに苦労していたが、昭和四九年に入り金融情勢が一段と厳しくなったこともあって、益々資金調達に窮するに至り、昭和四九年一一月八日支払期日の手形金約一億円、同月一五日支払期日の手形金約八七〇〇万円については、下請業者に自社手形を振出し、当該下請業者をして銀行、金融業者等で割引かせて入金させたり、金融業者に自社手形の割引を依頼するなどして、ようやく決済したものの、同月二一日支払期日の手形金約一億〇七〇〇万円、同月二七日支払期日の手形金約一億五九〇〇万円等については、ついに手許現金、預金ならびに営業収入のみでは決済ができず、かつ新たな企業も不可能となり、結局、事業の継続に著しい支障をきたすことなく、弁済期にある債務を弁済することができない状態に陥ったこと。
(九) 右のように申立会社が窮境に陥るに至った主な原因は、次のとおりであること。
1 代表取締役佐藤守彦は、会社設立以来今日まで申立会社の代表者として経営の衝にあたってきたが、その間申立会社の資本金が一五〇万円から一一億〇二五〇万円に漸増したように、今日では会社規模が設立当初とは比較できないほど拡大されたにもかかわらず、その経営姿勢に特段の順応改善の跡が窺われず、いわゆるワンマン経営を続けてきた。即ち、申立会社には形式上数人の常務取締役がいるものの、各常務取締役間における担当部門すら明確性を欠き、取締役会もほとんど代表取締役の一方的発言の下に運営され、他方、営業組織に関する諸規定が未整備で、職務分掌のみならず、経理、原価計算、設備管理等に関する諸規定も制定されておらず、そのため、どの部署においても自らの責任を自覚した仕事がなされていなかった。
2 企業の維持発展のためには、本来利益の確保がもっとも重視されるべきなのに、申立会社の場合、代表者の姿勢が売上高第一主義であったため、右の視点を全く欠落した経営がなされていた。
即ち、売上高、生産高に関する目標は打ち出されてはいるが、利益の確保について何らの指針、具体策の検討もなく、その結果、原価計算は勿論のこと、工場別損益計算さえ制度的に実施されていなかった。そのため、材料歩溜、不良発生率、クレーム原因分析等最も基本的な原価管理上の把握がされず、生産増大のために無計画に人員の補充を行い、延いて、同業他社と比較した場合、一人当りの売上高においても、金利の売上高に占める割合においても著しく劣っている。
3 昭和四〇年三月期以前から粉飾決算を行い、そのため昭和四五年三月期において、既に実質的には約二億三八五七万円の繰越欠損金が存し、それにもかかわらず、粉飾決算を続けて、同期以後昭和四九年三月期まで継続して年一五%(但し、昭和四六年三月期は年一七%)の配当を実施してきた。しかも、その間、繰越損失なしと仮定して当期利益で配当可能なのは、昭和四五年三月期だけであった。その結果、過去五年間において法人税等の租税、配当金、役員賞与で社外に流出した金銭は総額にして約一二億四三〇〇万円にのぼり、未処理欠損金の総額は、約三三億六三四七万円に達する。そして、右の社外流出金の資金源泉は、結局借入金に依存していたものと考えざるをえないから、これが申立会社の資金繰りを著しく圧迫してきたことは明白である。
4 前記のように昭和三一年に東京時計株式会社を設立し、これに申立会社で製造した時計の国内販売にあたらせてきたが、右会社は、昭和三九年七月期より常に赤字経営であり、とくに昭和四三年頃からはセイコー、シチズンの販売系列化策等の影響により、赤字幅は、大幅に増大した。この間、右会社は売上高の増加を期して人員の増強を計ってきたが、申立会社において、右会社を申立会社の資金調達或は決算操作等に利用したため、右会社の社員に対して本来の独立会社の社員としての自覚をうえつけることができず、ために損益観念に基礎をおいた業務執行がまったくなされなかった。その結果、昭和四九年末日現在、申立会社は右会社に対し約一二億六三〇〇万円の債権を有しているが、その回収の見込みは今のところまったくたっていない。
また、昭和四六年に村田工場隣接地にボウリング場を建設し、その運営のために株式会社村田ボーリングセンターを設立し、さらに昭和四七年本社工場敷地内に直営のタカツボウルを建設したが、両ボウリング場はいずれも赤字経営に終始し、結局両ボウリング場建設のための投資額のうち、昭和四九年九月期現在、計約七億円が未償却のまま残っている。
右のような関係会社等に対する焦げつき債権、回収不能投資もまた申立会社の資金繰りを圧迫した一つの要因である。
二 以上の事実によれば、申立会社について会社更生法三〇条一項に定められた更生原因のあることは明らかである。
そこで、申立会社の更生の見込の有無について検討する。
(一)(イ) 申立会社が前記の通り多額の粉飾決算を行なって窮地に陥り、多くの債権者、株主に著しい損害を与えたことは、その信用を失墜させ、かつまたその商品イメージを低落させたこと甚だしく、それゆえ、セイコー、シチズンの二大メーカーによって販売シェアの大部分を占めている時計業界において、今後申立会社が同会社のブランドでその製品の販売を続けていくことには少なくとも国内では多くの困難を伴うであろうと予想されること。
(ロ) しかも、現段階においては、各取引銀行とも申立会社に対する資金援助に難色を示し、申立会社は従業員の賃金支払についてさえ資金繰りに苦慮している状態にあること。
(ハ) さらには、遊休資産を売却するとしても、現在のような金融引締め状況下においては、有利な買主を見つけることも相当困難であると思われること。
など申立会社の更生の見込については、きわめて悲観的な材料も多い。
(二) しかし、一方では、
(イ) 申立会社の製品は海外で相当の評価を得ており、現に輸出関係を中心に受注残が約一〇億円前後あり、特に直接貿易の取引先である各バイヤーは、更生開始決定が得られた場合には、その再建に全面的に協力する旨保全管理人宛に上申書を提出していて、右バイヤーなどから今後もかなりの受注が見込まれること。
(ロ) 自動車時計については、ナイルス部品株式会社から現在も固定した注文があり、これが今後も安定した受注として期待ができること。
(ハ) 右(イ)、(ロ)にあわせて、今後多少の努力をすれば、月額四億五〇〇〇万円から五億円程度の受注を確保できる見通しがあること。
(ニ) 三菱商事株式会社が、申立会社製品の輸出について今後これまで以上に面倒を見てもよい旨協力を約していること。
(ホ) 下請業者の大部分が今後も全面的に申立会社の再建に協力していくことを約していること。
など申立会社の更生の見込について、明るい材料もないではない。
(三) 以上種々の事情を総合勘案して、検討した結果、当裁判所は、少なくとも次の条件が満されれば、申立会社の更生は、その見込がないものではないと考えるにいたった。
1 受注額(四億五〇〇〇万円から五億円程度)に見合った程度に生産規模を縮少する。
2 それに伴い、遊休資産の処分を行い、それによって債務負担の軽減化をはかる。
3 経費節減、クレーム等の事後処理の合理化などのために、三菱商事株式会社等大手商社に輸出窓口をある程度一括委託する。
4 経営組織の確立、従業員の生産意欲の向上、生産管理の徹底等による生産の向上に努める。
(四) そして、管財人に人を得られ、しかも会社再建について従業員の積極的協力を得られれば、右の条件を満すことは十分に可能であると思料する。
三 以上の次第で、本件申立は理由があるのでこれを認容し、管財人の選任等について会社更生法四六条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 中田四郎 裁判官 魚住庸夫 三上英昭)